世界遺産登録も終わりか

セカンドステージ第一歩の「金沢文庫:歴史講座」は

“新・語り継がれる古都鎌倉の歴史”だった。

その最終講座が「古都鎌倉の魅力と世界遺産登録

について」で講師は、“へえそう言うものか”と知ったが

県の教育委員会から“登録”のために専門家として

鎌倉市に派遣されている方だった。

登録進捗と講座内容は前のブログに書いてある。

http://omagfirst.spaces.live.com/?_c11_BlogPart_BlogPart=blogview&_c=BlogPart&partqs=amonth%3d2%26ayear%3d2007

この方かどうか不明ながら、一緒に携わっていた誰かが

“登録”関係の書類を偽造していたと昨日の夕刊に

載って、びっくりやらどうも公務員は世間を無視しているな!

今朝の朝刊では市長の進退までおよぶか、とも載っているが

当然だろうな。

この講座で、富士山も世界遺産登録を目指しているが、

富士山はゴミが多くて無理だろうと、こちらの鎌倉の方が

近いと評していたのに、どういうこった!

こうなると“登録”は吹っ飛んだ、だろうな。

いやいや、セカンドステージスタートの受講講座が

こんな事件に発展していくとは、不愉快だ。

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鎌倉武士と悪党の戦法

「北条氏とその周辺」の最終第六回講座は

“鎌倉武士と悪党の戦法”だったが、

タイトルを早とちりして、義朝が江ノ島あたりで悪党で

暴れていた頃と思い込んでいたら、鎌倉幕府末期の

戦法の講座だった。

鎌倉武士は、「一所懸命」、「名こそ惜しけれ」の精神で

くくられて、手柄も「敵の首をとる」「先駆け」「討ち死に」で

あったが、かの楠木正成は、もうそういう戦法に縛られて

いなかった。

正成の砦から丸太を転がす戦法はつとに有名だが、

この戦法事態が、“ルールや型にとらわれぬ戦法”

へ変わっていった証しだ。

それは:飛礫・ハシリ・待ち伏せ・狙撃などだ。

馬上の鎧兜に代表される重装備甲騎兵の時代が

終わるのに合わせて鎌倉幕府・武士もエンデイングを

迎えた。

当時の鎧兜が見付からなかったので尊氏のを添えてみた。

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蒙古襲来

六回連続講座の第5回目は、「蒙古襲来」を時の元帝国側から調べた講座だった。

フビライが二度に渡って九州北部を“屯田占領”しようとした計画だが、

第一次の時代は元は北シナを領国に出来たまでで、

中シナと南シナまでを領域としたのは第二次襲来のときであった。

ここで興味を引くのが、北シナの領域が、“秦嶺山脈・淮河線” だということ。

秦嶺(しんれい)山脈は漢詩に歌われ、三国志にも登場、

淮河(わいがわ)は渭水とともに歴史上重要な河だ。

さらに“秦嶺山脈・淮河線” が水稲の北限界線であること。

だから、北シナは、白酒の原料になる高粱や麦・粟であって、

中シナと南シナは田んぼで水稲だ。

さて襲来は二度とも失敗に終わったが、第一次は遊牧のモンゴル人と北シナ人だった

から、例え成功しても日本は畑だから屯田は無理だったろうな。

第二次は「東路軍」が韓国の合浦から出港、「江南軍」は唐の時代から馴染みの

寧波(ミンポー、ねいは)から出港したが、これまた敗退した。

この敗退で数万の船が伊万里湾の鷹島の海底に眠っていて、いまも

遺跡引き揚げをやっているそうだ。写真は攻撃の絵巻だが見えるかな?

E11th

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