天正遣欧(少年)使節団
今回の講座は「天正遣欧(少年)使節団」が渡欧で聞いたであろう
曲の紹介とか帰国後に秀吉の前で演奏されたであろう曲を聞かせて
くれた内容であったが、時代は、この天正遣欧(少年)使節団が
出発したのが本能寺の変があった天正10年1581年のことで
ヨーロッパではルネッサンス期にあたり、バッハの生年が
1685年だから音楽と言ったって、教会音楽や民謡のたぐいだ。
出発して二年後にリスボンに到着するのだが、船上で楽器演奏
の特訓があったらしく、リスボンのエヴォラ教会でパイプオルガン
を見事に弾きこなして大喝采を浴びたそうで、ポルトガル、スペイン、
イタリアの各地を歴訪するなかで“グレゴリオ聖歌”も聞いたであろう。
ポルトガルと言えば今ではファドだが、
♪「牛飼いとお針箱」や♪「ラ・トリコテア・サマルテイン・ラ・ベア」は
日本の民謡“こっちの水は甘いぞ”のメロデイーそのもののように
鉄砲の伝来だけでなく、日本の民謡と交差している。
さらに変奏曲は琴の「六段の調」に影響を与えているのは間違い
ないとのことだった。
秀吉に聚楽第で引見したのが1591年で演奏したのが
♪ジョスカン・デブレ「千々の悲しみ」
♪ナルバエス「皇帝の歌」
であり、この曲はとてもとても白拍子などの音楽とは全然違って
西洋音楽そのものに驚いた。
ここでリスボンへ行った際に見た光景を、
坂の道端で七輪でもうもうと煙をあげながらおばあさんが魚を焼いて
いたのには思わず、ここが本物だったのかと感心しきりだった、
この年は1996年前後。
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