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2008年11月

プレミネント錠

旧山之内製薬のミカルデイスを20mgから40mgに増量しても効果が

見られず、今度は万有製薬のプレミネント錠に変えたら即効果が

現われて今は一週間服用を経たところで150と100を超えるような

ことは一度も無くなった。

両方とも“アンジオテンシンⅡ”と言う体内生理活性物質が血管を収縮

させて血圧を上げていることが大規模臨床試験で判明してから創り出された

拮抗薬だが、プレミネント錠の方は、成分がロサルタンカリウムで

降圧にはカリウムがいいので、これが効いて、さらにプレミネント錠には

ナトリウムの再吸収を抑制する利尿剤を含ませてあるから薬効通りに

二重効果を生んでいるようだ。

薬に厄介になるまでは、カリウムを多く含む食品を食べるように心がけたり

ナトリウムを排泄させようとせっせと水分を摂っていたが、まあ、実験も

兼ねて、プレミネント錠を服用してから、断っていた味噌汁を飲み出したり

ラーメンのおつゆも多少飲んだりしてみたが、薬効あらたなりで、

どうやら普通の食生活がOKのようで、多少国の医療費を圧迫するだろうけど

62歳になってからの服用なので勘弁してもらおう。

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やっぱりモーツアルト

この「タイトル」は講座のを使ってある。

これからモーツアルトの簡単な生涯を書いて記憶に留めたいと願っているけど、

前回書いたショパンのことももうほとんど忘れているほどだから

さてどれだけ記憶に残るのか...

6歳であのマリア・テレジアのもとで御前演奏を、

7歳で父親が息子の才能を広く世間に知らしめようと他国へ家族と一緒に

大演奏旅行に、この他国への演奏旅行は就職活動を兼ねて21歳ごろ

まで繰り返し続くが失敗を重ねて定職に就けない。

作曲家ヴエーバーの叔父にあたる歌手の4人の娘の

二女に恋をして失恋、

24歳でヴエーバー家に下宿して三女のコンスタンツエ・ヴエーバーと結婚、

36歳で亡くなる。

講座で聞いた曲は、

元気になれる<アイネ・クライネ・ナハトムジーク>

<踊れ、喜べ、幸いなる魂よ>これはソプラノ

<ハ短調ミサ曲>は宗教曲ながら非常な新鮮な宗教曲で、

このミサ曲は新妻がソプラノを歌っているのを聞いた。

<フィガロの結婚>から第一幕の女性の二重唱。

珍しい<ソナタイ単調>

クラリネットは、このころの新楽器で勿論モーツアルトが作曲をしているが、

シューベルトに

“クラリネットは愛によって溶けてしまった感情を表現する楽器”

と言わしめている!

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松島

“そもそも、ことふりたれど、松島は扶桑第一の好風にて...”

芭蕉の美文調はここでも如何なく発揮されていて、

後世の人達がやれ「東関紀行」のプロットを

真似ているなどと言うけれど、気持ちよく

簡潔に流れる文章は見事そのものだ。

芭蕉は杜甫を師と仰ぎ杜甫と同じ人生を

歩みたいと望んでいるからも、また平安から

この時代までも漢文を学び中国の地名に

写真など無い中でそれぞれのイメージを

ふくらましているのを窺い知れるように

松島を洞庭湖、西湖に恥じないと言っている

のは、欧米文化が皆目ないから当然だが

やはりここは中国文化が似つかわしい。

象潟を西施に例えていることから、松島を

楊貴妃(ヤングイヘイ)にダブらせている解釈

はいやに艶っぽい。

“松島や鶴に身を借れほととぎす”

曽良の作と書かれているが、曽良が他で触れて

ないこともあって、芭蕉の作だが拙作なので

曽好の名を使っていると疑われているそうだ。

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やっといいニュース

マイナスな出来事ばかりが報道される中で

やっとブログに書けるのを見つけたので

ご披露。

一つ目は、ウインフイルのバイオリンソロの

会場で曲間のちょっとした時間に携帯の音楽

を聴衆が鳴らしてしまったが、ソリストは

演奏再開かと聞きいってみると、なんとその

携帯の音楽を弾いて聴衆全体を和ませて

くれたそう。素晴らしい機転に乾杯。

二つ目は、トウモロコシから作ったパイプを

内モンゴルの砂漠に正方形に埋設したところ

砂が移動しないために草が生えてきたという

写真は見事だった。

しかもこのパイプは自然消滅までする。

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金目をさばく

親戚から大きい金目鯛が二つ届いた。

近くの魚屋にさばいてもらう方法もあったが、

沖釣りの釣果で鯵や鯖のハラワタを出した

こともあるので挑戦。

まずウロコを取るのだが、ウロコ取り器なんて

持ってないので包丁で取りかかったものの

随分と大きくて硬くて結構な時間がかかって

しまった。

ウロコを取って、さあどう下ろすか、

刺身、塩焼、煮付け、あらの汁

どれも食べたい。

で結局二枚に下ろして、骨のない方を

刺身、煮付け用に、

骨付きの方から骨辺りをさばいて、これを

塩焼き、

頭やえらなど肉はほとんどないけど、これを

あら汁に、

刺身はまだプリプリしていて行けた。

あら汁はトン汁に匹敵、あるいは以上かな、

煮付けは明日あたりに。

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降圧剤を変更

11月4日から降圧剤“アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬”

(ARB)を当初20mgを飲みだしたが効果が全然

見られず、8日後に40mgに倍増して7日経たが

やはり効果が全く見られなかった。

健康本には次のステップとしてARBに利尿剤

をプラスするのが第二ステップとして載って

いたが、やはり医者の処方も、利尿剤を

プラスすることだったから、薬を飲みだした初期

なのにもう第二ステップとは納得が行かなかった

が試すしかなく薬を受け取ってみたら一種類

しかなく、尋ねてみれば一錠に、ARBと利尿剤

が合体されている薬で、飲むのが一錠で済んだ

ものだから、ホットしてしまった。

ARBもテルミサルタンからロサルタンカリウムに

変えてある。

この利尿剤は、ナトリウムの再吸収を抑制する

作用があるので、塩分で血圧が上がっているから

この薬は効果があるのではと期待。

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壺の碑(いしぶみ)

“ここに至りて疑ひなき千載の記念(かたみ)、

今眼前に古人の心を閲す。

行脚の一徳、存命の喜び、羇旅(きりょ)の

労を忘れて、涙も落つるばかりなり”

壺の碑に会えて、今まで歌枕を訪ね歩いた

旅を重ねたが、ここで初めて満足のいった

歌枕に会えた喜びはそのまま受け取る

べきだろう。

今も残っているそうだが徒歩ではきついようだ。

Index_hi

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宮城野、壱の碑

山形の立石寺で芭蕉の手紙が先日発見されて、

この手紙から「おくの細道」の随行を芭蕉が

曾良ではなくて路通をあてにしていたんでは

ないかと学界では言われていたことが明確に

なったほど貴重な発見だったそうだ。

元禄二年に「おくの細道」に出るのだが、

その直前に芭蕉が伊賀上野の俳人猿スイに

宛てた手紙に、“能(よき)道づれ、~此僧に

さそはれことしも~”とある「此僧」とは路通

ではないかと推測されていたものの実際の

随行は曾良に間違いがないのでこの確証

が得られないまま今日まで来ているのを

今回の手紙発見で明確になった。

路通は風狂の世界にはぴったりな

人物ではあったが世俗では詐欺的で

同人間で評判が良くなく、出発間際に

断わりも無く消えたのは、芭蕉はがっかり

したものの本人も分かって行動したようだし、

曾良だったからこそ“随行日記”を残して

くれ、路通は「おくの細道」の終わりの

大垣には出迎えに来たことからも想像

がつく。

と言うように国文も数独も解くことには

同じだ。

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フルトヴェングラー

第三回目は「伝説の指揮者フルトヴェングラー」

第九の出だしが誰それは何分、誰それは何分

などと言った指揮者の中でもフルトヴェングラー

のが基本だったような記憶がある。

大まかながら生涯を追っかけてくれた。

古典考古学者と画家夫妻の長子として生まれ

通学よりも家庭教師からの学びを親は選択して

7歳で作曲を試み17歳までに専門家に師事して

作曲していたように指揮者よりも作曲家を目指して

いた。

それが指揮者に比重が多くなったのは、

自ら指揮をしてみたかったこと

ベートーヴェンの音楽と精神に魅了されたこと

父の死去で生活を支えるため

からのようだ。

レパートリーはドイツ音楽だが、特に特別に

ベートーヴェンの真実の姿を提示し続けること

こそ使命として、楽譜を隅々まで知り尽くした

上で楽譜の裏側を表現する演奏を求めていた。

だからこそ、他の指揮者との違いが歴然として

いるのだろう。

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ついに降参

リタイアを契機に高血圧を国の治療費増大阻止

に協力すべくと、薬に頼らず、塩分控えめと

有酸素運動で下げていたが、夏の暑さが終わった

9月下旬10月始めからこの年齢の基準である

140、90以下にはもうほとんど届かずに

150台の100近くと高めで推移していて

時には180台が出たりして、さすがに

不安となって、血圧の記録表を持って内科医に

見せたところ、ついに二週間投薬のトライに

なってしまった。

処方は、「アンジオテンシンⅡ受容体」の拮抗薬

のひとつである“テルミサルタン”成分の“ミカルディス”

20mgであった。

この「アンジオテンシンⅡ受容体」であるが、

体内に塩分を貯留させるホルモンらしく、それに

対しての拮抗薬は近年2003年ごろから降圧剤と

して大変なニュースになったようである。

さてさて効能ではマウスで最大55も下がるようだが

どうだろうか?期待してみよう。

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武隈の松:おくの細道

このブログに移ってきてからついに一年目を

向えてまあよく続いたものと感心。

さて市民講座の後期が始まって一つが

この「おくの細道」で一年前の続きから

始まった。

講義を聞いていて、この古典の学問研究者

は数独に似ている手法で読み込んでいる

ようだ。

この武隈(たけくま)の松の段でも、

“能因法師思い出ず”の一文がどうやって

この段に出てくるのかを調べられ るだけの

古典文献を漁って、つまり縦横全体など

手段を使い切って、これしかないと言う数字を

突き止めるのが数独だが、古典学もそういう

突き止めることを楽しみにしているようだ。

歌枕名勝を訪ねるのを重ねながら旅が

進んでいくのだが、訪ねてみるとこれが

なかなか満足のいく名勝が少なく、すでに

11の名称が終わったが喜びの文章が

書かれたはこの武隈の松でやっと4番目

という具合だ。

松と言えば、“ローマの松”これはクラシック

の題名にもなっているが、またハワイの松も

本来の名称を忘れたが俗称“おそ松”とも

言われてそれぞれ別の表情をしていた。

A

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